2010年3月8日月曜日

建築日常茶飯事論


 先日、酒を飲みながら本を括っていたら、興味深い文章に出会った。荻窪の古書店で購入した「現代詩手帖 1994年10月号」。本の後半の連載ページに目が留まる。文芸評論家・中川千春の「罵倒詞華抄―――詩と詩人への」という連載であった。そしてその中で引用されていた文章が、私には気にかかる。

(前略)
どんな素人でも、このような「詩的社会」に住み、詩的論理による思惟の訓練をうけていれば、詩のまがいものを書くことぐらいはいとたやすい仕事である。現在の日本では、詩は詩人の意識的な凝縮作用によってなるものではなく、若干の教養と感受性の持ち主なら誰にでも書ける日常茶飯事に堕落している。
(江藤淳「日本の詩はどこにあるか」)

 15年以上前であるが、この連載、そして中川千春については興味深いので足を踏み入れていきたいが、ここではこれ以上触れない。何気なく一杯の酒と共に読み進んでいった江藤淳のこの文章に、私の目が留まったのだ。
私は瞬時に、「詩」を「建築」に、「詩人」を「建築家」に置き換えて読んでいた。

(前略)
どんな素人でも、このような「建築的社会」に住み、建築的論理による思惟の訓練をうけていれば、建築のまがいものを設計することぐらいはいとたやすい仕事である。現在の日本では、建築は建築家の意識的な凝縮作用によってなるものではなく、若干の教養と感受性の持ち主なら誰にでも設計できる日常茶飯事に堕落している。

 私は上述したように読み換えて、衝撃を受けていた。江藤淳が生きて、建築家そして建築界にこのように発言したらどのような影響を与えるのだろうかと考える。そうなれば、もっと良い建築が多く生まれていただろうか。それとも、江藤淳は建築は今のままで良いと思い、このようなフィールドには飛び込んでこなかっただろうか。どちらにしろ、現代詩に対する憂いを「日常茶飯事に堕落している」と括った江藤淳の言葉は、私に重くのしかかってきた。
 建築を日常茶飯事に堕落しているものとし鼓舞すれば、私のような前衛にも仕事がやりやすくなる状況は生まれるかもしれない。しかし、前衛に身を置いている以上、建築に生きることと、建築を仕事とすることとは別のベクトルである、といつしか考えるようになった。それは現代詩人であっても同様であろう。であるから、江藤淳から引いた私の「建築日常茶飯事論」は、ニーチェの言うルサンチマンからの発想ではない。

 私がこの江藤淳の文章に出会った「現代詩手帖 1994年10月号」は、アンドレ・ブルトンの特集であった。ブルトンこそ、前衛を生き抜いた詩人であり芸術家である。
 時代が、ブルトンの生き様をそうさせたのだろうか。私は3日前に磯崎新氏の出版記念講演会に伺った。磯崎新氏は、1968年に前衛は終わったと言い、その後 20年 の空白があったと語る。戦争のない時代が始まり、「歴史が宙吊りになった時代」と続けた。
 そういう平和な時代には、ムーブメントや前衛が起こるはずがない。その通りだろう。
ブルトンの時代には戦争が勃発し、ダダが生まれ、魅力的なシュルレアリスムの暴力が渦巻く。前掲誌の朝吹亮二編によるブルトン年譜によれば、生涯においてブルトン周囲の友人が6人も自殺し、公式に記録される乱闘騒ぎが4回もあった。

 時代が、そうさせている。私は今から100年前に始まった危険な50年間を、羨ましく想った。決して不謹慎だとは、思わないで欲しい。1916年、チューリッヒで開店されたキャバレー・ヴォルテールから、ダダが生まれた。そして、シュルレアリスム。
 さらに現代の、平和な時代の東京の片隅。しかし、少しずつ地球や環境、社会や経済が違うのではないか、という疑問が渦巻き始めたのは確かだろう。私は東京の片隅、荻窪の小さなバーから、今の時代に前衛を生み出していきたいという、言ってみれば「狂った夢」を持っている。1988年の暑い夏から22年間、この小さなバーを拠点に芸術活動を行ってきた。このブログは2010年、仲間とともにここから新たに発信する「狂気と併走し、知的好奇心を刺激する思索」を加速させるためのものとなりたい。不定期にこのページに綴る雑文に、是非目を留めてもらいたいと思う。


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